傘踊りを踊る野村さん(手前右端)

第2アリアンサ「鳥取村」の入植90周年式典アトラクションでは、鳥取県人会(本橋幹久会長)で練習を行っている「しゃんしゃん傘踊り」のグループがサンパウロから訪問し、踊りを披露した。その中の一人に同村創設時に現地受入理事として鳥取県から派遣され、第2アリアンサ産業組合会長も務めた故・橋浦昌雄氏の三女である野村(旧姓、橋浦)澄江さん(95、2世)の姿もあった。
橋浦氏は同県岩美郡内の村の村長を3期務めた実績を評価され、現地の理事職に抜擢。1927年にブラジルへ派遣された。入植時、野村さんは6歳で、その頃の同村内は住人が住む家と新規の移民用の収容所しかない寂しい場所だったことを覚えているという。入植後の橋浦氏は理事として、新規入植者をサントスまで迎えに行く慌しい日々を送っていたと野村さんは話す。
理事としてブラジルに着任したものの、橋浦氏の子供5人のうち4人は女の子で、長男の行雄さん(91、鳥取)は生まれたばかりだった。農業をやるにも人手がなく、本人も百姓の経験はない。野村さんは「父は来たくなかったといつも言っていた」とその姿を回想する。行雄さんも「父はブラジルに苦労しに来たようなもの」と語る。しかし、そんな苦労の甲斐があってか同村の発展に貢献したことが評価され、66年には鳥取県知事から橋浦氏へ功労賞が贈られた。行雄さんは「父も住民も最初は苦労ばかり。でも90年も村が存続していることはすごいこと」と誇らしげに語った。
式典に出席した野村さんは、懐かしい顔の小林礼子さん(86、2世)と再会した。小林さんを見ると「わー、礼子ちゃん」と声をあげ、再会を喜んだ。野村さんは小林さんの姉と親しくしていたこともあり、小林さんのことも覚えていたという。当時の橋浦家は学校の通学路沿いにあり、「野村さんの家で休憩して、よく水を飲ませてもらった」と小林さんは当時の思い出を語った。
そして午後からは野村さんにとって本番となるアトラクション。95歳とは思えぬしっかりとした足取りで傘踊りを披露した。野村さんは踊ることが大好きで、83年の創設当時からグループに参加。当日は母県鳥取から送られた傘と衣装で踊り、会場から大きな拍手が送られた。「もう歳だから人に見せるような踊りじゃない。一生懸命、間違わないように踊るだけ」と舞台後に話し、大きな声で笑った。
サンパウロ新聞 2016年7月27日付
